ブラジリアン柔術とは・・

ブラジリアン柔術のルーツは柔道であり、 また、柔道は日本古来の柔術の諸派の長所を 取りいれ出来上がった。
よって、 ブラジリアン柔術のルーツを辿ると、古来の 柔術に行き着く。
講道館柔道 四段の前田光世が、柔道使節の一員として、 1904年(明治37年)に渡米したことから始まる。



前田 光世(1871-1941)


前田は 柔道普及のため、ボクサーやレスラーと、 今でいう異種格闘技戦を断行し、北米、 欧州での戦いを通じ1000戦無敗だったと 言われている。
その戦法は、寝技に持ち込み、 「絞め技]か「関節技」で相手のギブアップ (参った)をとる方法であった。
その後、 前田は、永住の地となるブラジルに移住(1915年)し、 そのテクニックをグレイシー一家に教えた。
それらのテクニックは、グレイシー一族で独自に発展し、 グレイシ-柔術と言われるようになった。



木村政彦VSエリオグレイシー(1951年)


グレイシー柔術が世間で脚光を浴びるよう になったのは1993年のUFCでのホイス・グレイシー の優勝であった。
またホイスの兄、 ヒクソン・グレ-シ-も400戦無敗と言われている。



Royce Gracie vs Ken Shamrock (1993)



グレイシ-柔術は、おおくくりでブラジリアン柔術と 呼ばれ、その競技ルールは、「絞め技」 「関節技」でのギブアップのみを一本勝ちとし、
また、総合格闘技(打撃もあり)で有利な ポジションのマウントやバックグラブに高得点を 与える体系になっており、自然に総合格闘技 での組技が学べるシステムとなっている。
また、ブラジリアン柔術は打撃がなく、寝技主体 の組技であり、最近では「レフリーによる見込み 一本(レフリーストップ)勝ちあり」となるなど、 比較的安全なスポーツとなっている。

今では、 日本に逆輸入され、日本各地のどこかで、 月1回は試合が行われているほどにポピュラーに なっており、1000人以上の参加者を集める 大会もある。
試合は、性別、年齢、帯色、 重量ランクでカテゴリーが分かれており、初心者 にも、くみしやすいものとなっている。


石田道場では、 競技柔術を主体にし、「和気あいあいと」「楽しく」 「安全に」をモットーに、フィットネス、ダイエット 志向から競技志向者まで、老若男女の分け隔てなく共に練習し、 多くの戦績を示しています。


Writings by Ayu